2019年5月26日日曜日

豊洲 ―都心回帰とウォーターフロント開発―

こんにちは。
今回は東京の豊洲をテーマに、ウォーターフロント開発について書いていきたいと思います。

豊洲では「ウォーターフロント開発」と言われる再開発が行われ、タワーマンションが林立しています。


◆ウォーターフロント開発

ウォーターフロント開発とは… ネット辞書で調べると…
海や河川などの水ぎわの地域をさしていう。日本のおもな都市は多くが河口部の水辺都市であり,古くから埋立てが行われ,独自の親水空間を随所でつくりだしてきた。また,交通革新や先端技術の導入によって,従来港湾施設,倉庫,工場などで占められていた臨海地域の再利用が可能になり,ウォーターフロント開発が近年ますます盛んに行われるようになった。横浜みなとみらい 21事業,東京臨海副都心計画,神戸六甲アイランド建設などが例としてあげられる。イギリスのドックランズ,ニューヨークのバッテリーパークなど同様の開発は世界各国でみられる。
とあります。

東京を例にすると、豊洲をはじめとした海沿いの埋立地は、大正時代以降に埋め立てが急速に進み、工場・倉庫が多く立地していました。
都心から極めて近い場所です。新大久保の記事でインナーシティを取り上げましたが、ウォーターフロントと呼ばれる地域も都心の一つ外側で、インナーシティと同様の位置です。
都心(CBD)の周りに、インナーシティと呼ばれる地域(2番)が位置する。

その工場が、都心に近すぎて土地の拡張が困難だったり、海外へ生産を移す必要が生じたり、都心に近すぎて公害問題が起きたりなどで、工場が閉鎖され移転されていきます。
そして、工場の跡地が再開発されていくのです。
都心から近いわりに、工場地帯で地価が安い。その割安感で開発が急激に進みます。

このような現象は世界各地で起きていて、

  • イギリスのドックランズ再開発(都心すぐ近くのテムズ川沿いの倉庫が再開発された)
  • 横浜のみなとみらい21(横浜中心部近くの造船所跡地の大規模な再開発)

ここは有名な事例です。

◆都心回帰

徳川家康が江戸城に入城し、城下町を整備してから、東京の人口は増え続け、東京は膨張し続けてきました。
関東大震災に前後して郊外へ延びる鉄道が開業。郊外化が進展。
高度経済成長では、郊外に多摩ニュータウンをはじめとした大規模なニュータウンができて、さらに郊外化が進展。
バブル経済期には、都心の地価が暴騰し、郊外化が進展。
しかし、バブル景気崩壊によって、都心の地価が下がり、産業の空洞化(工場の移転)、企業が保有していた土地の放出があり、都心が再開発され、都心に人口が戻る「都心回帰現象」が起きます。

ウォーターフロント開発は、この都心回帰現象の一つとして見られています。


豊洲の歴史

豊洲の誕生

豊洲は1923年の関東大震災で発生した大量の瓦礫の埋め立てによって誕生しました。
この埋め立てられてできた豊洲に、石川播磨重工業の造船所、火力発電所、東京ガスの工場などが立地していました。
今の豊洲を語る上で欠かせないIHIの造船所は、石川島の分工場として1939年に豊洲に開業します。

工場地帯として

工場地帯であった時代を偲ぶ景色があります。

一つは1974年開業のセブンイレブン。
何の変哲もないセブンイレブンですが…
豊洲のセブンイレブン
ここのセブンイレブンはセブンイレブン日本一号店です。
もちろん、開店当初は午前7時から午後11時までの営業。
8時間3交代制の工場労働者が勤務の前後でも買い物ができる営業時間として7時から23時になったそうで、豊洲の土地柄を表す営業形態です。今となっては24時間営業で日本を席巻していますが。

もう一つは、都営住宅。
タワーマンションのすぐ近くに都営団地があります。
(取り壊しが進んでいたので、今はもうないかもしれません…)
都営住宅
一部の都営住宅は取り壊し中でした
工場地帯だった頃は、地下鉄は通っておらず、都心に近いのに「陸の孤島」と呼ばれていました。
そんな時代には都営団地が立地しており、今もひっそりと残っています。

また、ららぽーと豊洲には、造船所時代のドックを利用した水上バス乗り場があり、怒りなどのモニュメントが多数。

工場は移転したがIHI(石川播磨重工業)の本社は豊洲。
IHI本社

豊洲、徐々に成長

豊洲は、高度経済成長期以降、徐々に成長していきます。
・1967年の地下鉄東西線木場駅開業
・1988年の地下鉄有楽町線豊洲駅開業
・1990年代のバブル景気崩壊
このような、交通の便の向上や、バブル崩壊による地価の下落により、徐々にマンションが立地していきます。
豊洲を歩いていると、中層のマンションがあります。
タワーマンションではない中層マンションはこの時代に建てられたものです。


造船所跡地の再開発事業

臨海部の工場を移転させ、再開発をしようという東京都の事業があり、2002年に造船所が移転しました。
これにより、造船所跡地の大きな土地が再開発されることになります。
ホームセンターとタワーマンション
タワーマンション
Wikipediaを見てみると、造船所跡地ということもあり、地価は都心から同距離の地域の中で2~3割安いとか。

誰が住んでいるのか 住まいの地理学から

豊洲のタワーマンションは割安感があったものの、決して安いわけではない。
経済的余裕がないと買えない物件である。

従前の地理学の研究では、都心再回帰によってDINKs(共働き子無し世帯)や、高所得の独身者など、経済的な余裕のある者が、都心(で再開発されたようなマンションに)居住をしていると報告されてきた。

豊洲で居住者を調査した研究では、そのような世帯に加えて、

  • ファミリー世帯
  • 郊外一戸建てを売り払った高齢世帯

の入居も見られるとの報告がある。

つまり、様々な人が住んでおり、住まいの姿は多様化している。

再開発の問題

マンション開発が起き、その後にタワーマンションが林立し、これらの再開発により大きな問題が起きました。
それは、公共施設の不足です。教育施設が不足したのです。
相次ぐマンション開発で、小学生の数が急増。小学校の生徒受入れが困難になりました。
そこで、1973年以降、条例により40戸以上のマンション建設では、1戸につき125万円の「公共施設整備協力金」が課されてきました。
いったんは、条例は廃止されたものの、2003年にタワーマンション建設を契機に、マンション規制条例が制定されました。(4年の時限立法)

タワーマンションは1棟で500~1500戸が入居します。
そのうち10%に小学生がいたとしても100名もの児童が増えるのです。
じゃあ、新しい小学校を作ればいいかというと、タワーマンションは分譲のため、その世代が卒業すれば、次の世代は入ってきません。
そのため、マンション建設を規制するしかなかったのです。

ただし、造船所跡地を売却したいIHIが小学校用地を江東区へ寄付し、豊洲北小学校の1校だけは新設されました。
新設された豊洲北小学校
なお、豊洲に住むような所得層だと、中学校では私立へ進学したりするので、中学校の受け入れ困難は起こらなかったとのこと。

また、工場があった時代からの児童や、他地域の児童と、タワーマンション世帯の児童との間で、所得差によるトラブルが発生したという話も。

小学校と同様に保育園も不足。
豊洲に、有明地区の保育園のサテライトを設置し、バスで本園に児童を送迎する「サテライト保育園」も行われていたりする。

豊洲市場

これまで紹介してきた、造船所跡地から西へ1kmほどの場所には、豊洲市場が建設されました。
豊洲市場は東京ガス工場跡地です。
ですので、土壌汚染問題で話題になりましたね。

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