地理プラについて
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話の概要
【告知】「何でもない地図を語る会」
— みんなで地理プラーザ! (@Geo_plaza) April 29, 2020
きのう告知したイベントの詳細です!
《日時》5月6日(水) 19:00~21:00
《テーマプレゼンター》永太郎さん(@Naga_Kyoto )
《内容》参加者から募集した地図を見ながら、参加者みんなで地図トーク
《方法》zoomで開催します(PC・スマホで参加可能)#何地図 pic.twitter.com/N191Gh0eZU
「何でもない地図を語る会 オンライン #何地図 」
— みんなで地理プラーザ! (@Geo_plaza) May 6, 2020
1枚目の地図はコチラ! pic.twitter.com/EyPUJWuCQI
学校が山の上と下に2つあるんですね。
学校は集落から少し離れているのはなぜだろうか。敷地確保の問題?あと2つは小学校中学校だろうなぁ
上が中学校?
集落から離れてるがなぜだろう……
上が中学校っぽい
東側の学校、すぐに浸水しそう。
平地が小学校なきがする
下の学校は合併でできたものですかね
平地があんまりなさそう、無理矢理学校を作っている印象
疑問が生まれる
この間の #何地図 で山間地域の中心的な少しひらけた集落の地図を見たときに、集落中心部に近い「文」が小学校で、山裾の「文」が中学校だとみんな言っていたけど(たしかにそうなのだが)その理由が知りたい。
— わ し の ひ と (@jetavana_110) May 10, 2020
司会進行していて、実は私も理解できなかった事象ですね。。。
— ジオ鹿さん🦌 (@GeoDeer9215c) May 10, 2020
こういう細かいところにツッコミ入れて話を膨らませられなかった私の力不足を感じている。
やはり注目する地図は少ない方が良さそうですね。。。#何地図 https://t.co/QA6D5C2j02
小学校は早い段階で設置され、かつ必要とする用地も狭くて済むから集落に近い場所に設置されるもんだと思ってた(中学校はその反対)けど、必ずしもそういうわけではないのか… #何地図https://t.co/7wOTCYr6Iz
— 永太郎(ながたろう) (@Naga_Kyoto) May 10, 2020
小学校は徒歩圏内で通える場所、中学校は自転車によって通学圏が広がるので、中心部と山裾に学校があれば中心部が小学校だと思う人が多いのではないでしょうか
— 珸瑤瑁 (@Ettoburiyana) May 10, 2020
わしは逆だと思った。小学校は戦前からある制度、中学校は戦後の制度なので、当時田んぼをつぶしてまで小学校を平地につくっただろうか、と思った。また小学校は田んぼから一段上がった山裾にあることが多い。例えば、となりのトトロの小学校のように。
— わ し の ひ と (@jetavana_110) May 10, 2020
何地図の学校のは単純に集落に近い方、高低差がない方を小学校にするはずという話ではないかなと思って流しちゃったな
— M.小林 (@oigawa2) May 10, 2020
ちゃんと考えてみる
— M.小林 (@oigawa2) May 10, 2020
あの小学校は立地と形状から見て新しい可能性が高い。
で、山間部で学校の新設が行われるとするとまあ間違いなく児童減による学校の統廃合によるものだろう。
だとすると元から少ない中学校より小学校の方が統廃合は頻繁に行われているため小学校の可能性が高くなる。
感じか?
小学校・中学校建設の経緯
田圃の中の学校が新しいと考える根拠としては。
— M.小林 (@oigawa2) May 10, 2020
そもそも山間部の農村において限られた田圃を学校用地として供出するということが減反政策以前に行われるとは考えにくい。
学校の形状は周囲の圃場整備された田圃の形を踏襲しているため設置は圃場整備後の可能性が高い
あたり
旧興田小学校は既に解体されて無くなっているみたいです。
— genzou (@genzou_ka2) May 10, 2020
統合前の興田小学校は興田中学校よりも歴史があるみたいなので、集落のどこに存在したか興味がありますね。 pic.twitter.com/wHQ8keZImc
ネットで調べたところ、地図の上中央、181.0m三角点の南東の山の端に旧興田小学校があったみたいです。地形図を見ると、細長い校舎と体育館が残ってますね。Google Earthでも跡地が確認できます。
— genzou (@genzou_ka2) May 10, 2020
この場所は、平成28年度公共工事発注見通し一覧(一関市)のNo83番からたどり着きました。 pic.twitter.com/pehG6WSH5Q
ざっと調べてみた。件の場所は一関市大東地区。①現在田んぼの真ん中に小学校があるが,②1970年代の地理院地図年代別写真を見るとそこに小学校はない。集落内の「山裾」にあったようだ。③一関市HPによれば興田小学校は,2006年に近隣小学校と統合し,新校舎を建設した。わしの違和感は当たっていた。 pic.twitter.com/pWC4HIXTeu
— わ し の ひ と (@jetavana_110) May 10, 2020
小学校は2006年に統合して新しく建設されたみたいです。https://www.city.ichinoseki.iwate.jp/index.cfm/31,72085,164,609,html
小学校のサイトを見ましたが、周辺校との統合、新設のようですね。
用地に関しては農地転用したものかと。 pic.twitter.com/FpWrAog20v
— きゅーご(9-5Aero) (@GF_EB235) May 10, 2020
一方中学校は1969年に現在の場所に校舎が建てられています。
小学校より中学校の方が新しいとは一概に言えないですね。
地理院地図時代別の写真(1974年~1978年)に赤字で書き込み。 pic.twitter.com/cK6nkTXVx7
— わ し の ひ と (@jetavana_110) May 10, 2020
一般的な小学校と中学校の立地について…
清水 健弘・二井 昭佳「明治期における小学校の立地位置に関する研究」景観・デザイン研究講演集13, 317-322, 2017 ※pdf https://t.co/OBQuPBmHSN かなり参考になりそうな調査があった
— 永太郎(ながたろう) (@Naga_Kyoto) May 10, 2020
関連しそうな箇所
— 永太郎(ながたろう) (@Naga_Kyoto) May 10, 2020
>明治18年までは寺社を活用したものが多く,村内の意味的な中心地を選ぶ傾向にあった
>それ以降になると大きな敷地と通学距離が考慮されるようになった
>明治19年以降は通学区域を補正するように小学校が学区の中心部に再配置される特徴がある
図-4 小学校の従前の土地利用 pic.twitter.com/U6EpXO3Rrh
人口増に伴って分校を作る場合だと、平地に空きが無くて山際に建てることがあり得るかと思います。
— たりあん (@tarian1001) May 10, 2020
また、戦前の軍事施設等を転用して建てた中学校なら平地のど真ん中に位置しても不思議ではないかと(後に周辺が宅地開発されて、結果的に集落の中心部化するパターン)。
※私の母校がこうでした。
たしかに本校と分校で事情は異なりそうですね。従前の土地転用で分類すれば傾向が見えてくるかもしれません。例えば寺院を転用した小学校は中心部にあることが多い、など。
— 永太郎(ながたろう) (@Naga_Kyoto) May 10, 2020
地図の範囲はおおむね徒歩圏内なので、反対側の山裾もない話ではないと思いましたが、実際は集落内の山裾だったので納得です。水害の危険性がある水田に、収穫量を減らしてまで学校用地を確保するはずはないと思い、学校の立地に違和感がありました。
— わ し の ひ と (@jetavana_110) May 10, 2020
近年は学校の統廃合で小学校も自治体に一校で徒歩圏外に通うケースも増えてきていると思うので、集落外の広い敷地というパターンもありそうですね
— 珸瑤瑁 (@Ettoburiyana) May 11, 2020
まとめ
集落中心部に近い「文」が小学校で、山裾の「文」が中学校だとみんな言っていたけど(たしかにそうなのだが)その理由が知りたい
- 集落に近い方が、通学しやすく、早い段階に設置される小学校
- 逆に、集落から遠くて、山の上の方が中学校
- 小学校は戦前からの制度で、それが水田をつぶすような場所にあるのはおかしくて、山裾の方が小学校と思われる
- 小学校
- 2006年に現在の場所に移転(農地を転用)
- 中学校
- 1969年に現在の場所に移転
- 小学校・中学校は、もともと集落のすぐ近くの山裾に立地
- 明治18年までは寺社を活用した学校が多く、集落の中心地に立地する傾向
- それ以降は、大きな敷地と通学距離が考慮されるようになった
- もともと集落の外に立地していた学校(例:人口増加による分校)も、郊外化によって宅地などに囲まれ、集落内に取り込まれる場合も考えられる
- 近年では、学校が統合されることが多く、その場合には集落外の広い敷地に立地するパターンも多いかもしれない
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