2019年4月14日日曜日

三崎のマグロ

みなさん、神奈川県三浦市の三崎港はご存知でしょうか。

言わずと知れたマグロの町です。
三崎の位置
東京湾の入り口に位置し、東京から近い

京浜急行電鉄が、
  1. 三崎口駅までの往復乗車券&三崎地域のバス乗り放題(品川からだと電車往復1852円分+バス代)
  2. 三崎港のマグロ料理(1000円分くらい)
  3. お土産券(1000円分くらい)
をセットにした「三崎まぐろきっぷ」を発売しています。
品川駅からだと3500円で上記3点セット(4500円相当くらい?)が購入でき、とてもお得です。

では、三崎港はどのようにして「マグロの町」の地位を築き上げたのでしょうか。他のマグロの町との違いはあるのでしょうか。その歴史と地理を解説したいと思います。



1.三崎港の歴史 ―明治時代まで

歴史の話ですが…
三崎は中世から重要な位置にあり、三浦氏によって三崎城が築かれました。
東京湾を塞ぐ三浦半島の突端に位置し、房総半島にいる里見氏を睨む位置にあったのです。
三崎の町の台地の上に城址があり、今は市役所になっています。
三崎の地形
市役所近くにある三崎城跡の石碑
今でも土塁や空堀が残る
そして時代はくだり、江戸時代に三崎の町は発展していきました。

(漁業の町として)

  • もともと三浦半島の漁村は日本橋魚河岸に魚を出荷していた。
  • 日本橋魚河岸の締め付けが厳しかったので、三崎を含む三浦半島の漁村は1678年に「新肴場」を開設した。
  • 「新肴場」は相模近海の魚を扱っているので新鮮で美味しいと言われた。反対に、既存の魚河岸の扱う魚は、小田原・房総などの遠海の魚のため品質が劣ると言われた。
  • 三崎からの鮮魚は、押送り船(オショクリブネ)で江戸に送られた。これは船を持たない小規模な魚商らの荷を、運賃を徴収して江戸に運搬していたのである。
  • 三浦半島は岩礁がほとんどで、房総や小田原の「地引き綱」のような大量の漁獲ができなかった。そこで「釣り漁業」の少ない漁獲物を、いかに迅速に消費地まで鮮度を保ったまま運ぶかという、鮮魚流通の確立こそが、三崎周辺漁村にとって武器となった。

(船の寄港地としての発展)

  • 江戸時代の廻船交通では、三崎に番所がおかれて寄港地の一つに指定された。
  • 東京湾に入ってくる船の船荷改め(=荷物チェック)をしていた。
  • 三崎はたくさんの船が寄る港として発展した。

2.三崎港の歴史 ―大正時代から

遠洋漁船(陸から離れた海まで出てマグロやカツオのような魚を取る船)は、自分の所属する港を出てから、魚を捕ってきて、捕った魚を高く売れる港や条件の良い港で、市場に売ります。
大正時代からは船に動力機関(人力ではなくエンジン)が搭載され、より遠くに魚を捕りに行けるようになりました。
そのような時代に三崎が発展した理由は何だったのでしょうか。

(自然的要因)

  • 城ケ島により波が遮られて天然の良港を形成
  • 房総半島沖合のマグロ漁場から近い

城ヶ島と三崎の港
城ヶ島と三崎をつなぐ城ヶ島大橋
城ヶ島(右手)によって外洋の波が遮られている

(経済的要因)

  • 周辺漁村から鮮魚を買付けて江戸へ輸送する有力な魚商が存在していたため、たくさんの魚を良い値段で売れた
  • 江戸時代から船の寄港地であったので航海に必要な物品の補給が行えた
  • 地元漁村からマグロの餌となる生イカがたくさん供給された

(港の近代化と水揚量の増)

  • 大型船が接岸できる港の築港
  • 町営魚市場を開設して漁獲物取引に入札制を採用して、魚商の不正取引を一掃
  • 港に面した魚市場を新設して、大量の魚を水揚げできるようにした
  • 三崎水産興業株式会社を設立。漁船にたいして、魚代を全額即日払いするようにした。焼津は1日目・6日目・11日目に1/3ずつの分割払いだったため、即日でお金が手に入る三崎は漁船主にとって魅力的な市場になった
三崎は、地形的要因、江戸時代からの経済的要因、そして港・市場を合理的な建物・システムにアップグレードしたことで、マグロの町として発展をし始めたのです。

3.三崎港の歴史 ―戦後の時代

(戦後の発展)

  • 戦争の被害が少なかった
  • 魚の商人の町だったので、地元土着の漁船経営者が少なく、むしろ遠洋漁船を呼び込むような排他的空気の無い港だった
  • 戦前から遠洋漁業基地として漁船の出入が頻繁だったので情報が豊富に入手できた
  • 東京に本社をおく漁業会社の場合、本社と港が接近していて利便性が大きかった
  • 江戸時代からの有力魚商がおり、大量の魚を素早く有利に売ることができて、魚の値段も東京と同様であった。
  • 寄港した遠洋漁船の船員を泊める船宿を営む魚商が、遠洋漁船に融資を行うなど積極的に遠洋漁船を誘致した。
三浦市三崎水産物地方卸売市場
水揚げされた魚が取引される
マグロは三浦市低温卸売市場で取引される
三浦市低温卸売市場
低温のままマグロを取引できる施設である
ちなみに普通の観光客はここまで来ない
町が栄えていたころの建物が観光施設としてリノベーションされていた

4.三崎港の歴史 ―マグロ料理の発明

(マグロ水揚げ日本一までの三崎)

  • 1968年にマグロ水揚げ量日本一を達成した。
  • 旅館では出航祝・帰航祝のための宴会料理を提供。食堂では船員向けの大盛の丼ぶり。「マグロは商品として大都市に出荷するもの」「マグロのカマ、内臓、トロは捨てるものであり、客に提供するものではない」という認識だった。

(マグロ料理の発明から観光の町へ)

  • 1970年代以降は200カイリ規制、海外産マグロなどの影響により水揚げ量が減少した。三崎町の人口も減少して、観光地化が進んだ。
  • 1982年に三崎館本店がマグロのカマ焼き(マグロの頭)・マグロづくし(マグロの内臓)を考案しメディアに取り上げられる。
マグロ料理を初めて提供した三崎館本店
  • 1994年に商店主グループ「三崎まぐろ倶楽部」が「とろまん」を開発。
  • マグロを食べられる港町として観光地になった。
マグロ丼
マグロの寿司セット
お土産が買える観光施設
観光客でにぎわっている

5.三崎港の特色

マグロの町は三崎以外にもたくさんあります。
そのうちの一つが「清水」そして「焼津」。どちらも静岡県の都市です。三崎と比べると3つの港町はどれも個性があっておもしろい。
  • 「焼津」→ 江戸時代からカツオ漁船の母港として発展。焼津から遠洋に出てカツオ・マグロを釣って帰ってきていた。商人の町として発展した三崎とは対照的に、焼津はマグロ漁船の母港として発展した。
  • 「清水」→ マグロの町というより、国際工業港として有名。外国で釣られたマグロが水揚げされたり、水揚げされた冷凍マグロを海外へ輸出したりする拠点となっている。工業港という特性からか缶詰加工が多い。はごろもフーズは清水の会社。
  • 「三崎」→ 三崎港所属の船は少ないが、他港所属の漁船の水揚げを受け入れ発展。鮮魚の流通が得意だった。漁師の町というよりは、マグロを扱う商人(魚商)の町といった方がしっくりくるのかも?
以上3つの「マグロの町」の比較でした。

6.まとめ

  • 三崎は城ヶ島によって外洋から遮られた地形、東京湾の入り口という位置、に恵まれた港だった。
  • 江戸時代から船の寄港地、魚を取り扱う商人の町として発展した。
  • 以上の要因から、大正時代以降には遠洋漁船がマグロを水揚げする町として発展した。
  • マグロの水揚げが減るなかで、マグロ料理を開発して、観光客誘致の取り組みをすることで、「マグロの町」というブランドイメージとともに、観光の町として発展した。
長文でダラダラと歴史を書きなべてしまいました…
三崎はマグロの流通が得意で、マグロの水揚げ減少後には観光の町へとうまく身をこなした町です。
東京から日帰りできるので、プチ旅行をしてみてはいかがでしょうか。

7.参考文献
小口千明(2012)「水産都市三浦三崎におけるマグロ料理と地域変化」歴史地理学野外研究 第15号
https://tsukuba.repo.nii.ac.jp/?action=pages_view_main&active_action=repository_view_main_item_detail&item_id=27468&item_no=1&page_id=13&block_id=83 
山下琢巳・山下須美礼・双木俊介(2006)「マグロ漁業根拠地三崎港の形成と商業活動の展開」歴史地理学調査報告 第12号
https://tsukuba.repo.nii.ac.jp/?action=pages_view_main&active_action=repository_view_main_item_detail&item_id=19258&item_no=1&page_id=13&block_id=83 

大崎晃(1974)「三浦三崎漁業研究史考」地理学評論 47巻9号
https://www.jstage.jst.go.jp/article/grj1925/47/9/47_9_585/_article/-char/ja

土井仙吾(1968)「マグロ遠洋漁業の発展と三崎・焼津・清水」人文地理 20巻6号
https://www.jstage.jst.go.jp/article/jjhg1948/20/6/20_6_595/_article/-char/ja
古川史郎(1959)「神奈川県三崎漁港の発達」地理学評論 32巻4号
https://www.jstage.jst.go.jp/article/grj1925/32/4/32_4_179/_article/-char/ja

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